大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1515号 判決

上杉は、控訴人の業務の執行として調理作業に従事し、油布の命を受けて包丁を研いでいるときに、傍らで食器洗いをしている仲の流す水道水の水しぶきがかかり、さらに、包丁を研ぎ終えて水気を拭った古新聞をくず箱に捨てたときに、仲の投げた栓が転ってきたことに立腹し、この栓を蹴とばそうとしたが空振りに終って、気持ちがおさまらないまま右包丁を携えて調理台に向う途中に、仲から「ちょっとこい。」、「われちょっと外に出れ。」といわれたことから、その場で仲とけんか闘争に及び、右の包丁で仲を突き刺すに至ったものであって、上杉の右行為は、控訴人の事業の執行として上杉が従事していた調理作業を契機とし、これと密接な関連を有すると認められる行為というべきであるから、これによって生じた損害は、上杉が控訴人の事業の執行につき加えたものと解するのが相当であり、控訴人は、民法第七一五条第一項本文によりその賠償の責めを免れることはできないものというべきである。

被控訴人らの時効中断事由の存否について判断するに、≪証拠≫を総合すると、被控訴人菅治は、亡仲の父であるが、息子が本件事故により非業の死を遂げたことを悲しみ、国から公務災害の認定を得てその補償金を仏前に供えたいものと考え、海上自衛隊呉地方総監に対して、仲の本件事故による死亡を公務災害と認めるよう認定を申し立てたが、同総監は、昭和四七年五月二五日付で公務災害に該当しないと認定した旨の通知をしたので、これを不服として同年七月一一日防衛庁長官に再審申立書を題する書面を提出したところ、書式不備との理由で補正方を求められ、同年八月二六日再度審査の申立≪証拠≫をなし、同年一一月一八日その受理通知を受け、翌四八年三月には、担当職員から意見聴取を受けたたものの、一向に右審査についての判断を示されなかったため、昭和四九年六月六日付≪証拠≫及び同年一〇月二二日≪証拠≫の防衛庁長官宛の書留郵便をもって、同長官に対し、死亡後足掛け四年にもなるのに、故人の霊を慰めるような連絡もなく、災害補償裁定委員会が延々にして手続を終らせるのではないかとの不安を訴えるとともに、あまり延びるようであれば弁護士を代理人に委任して裁定を仰ぎたいと思う旨を書き送り、審査について速やかな裁定を行うことにより故人の霊を慰めて欲しい旨を申出ていたほか、さらに同年一一月一八日付の内容証明郵便≪証拠≫をもっても同旨の申出をしたこと、同長官の裁定は、同年一二年二一日付判定書をもってなされ、上記審査申立を棄却したこと(以上のうち、控訴人が≪証拠≫の各書面の送付を受け、被控訴人菅治から≪証拠≫が提出され、防衛庁長官がこれに対する判定をしたことは、当事者間に争いがない。)、以上の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被控訴人菅治が防衛庁長官に対してした再三にわたる督促は、形式的には、同長官に対する公務災害認定に関する上申ではあるが、その文面は、いずれも仲の本件事故による死亡に伴う損害の填補を求める趣旨を含む意思表示であると解されるから、同被控訴人は、上述した昭和四九年一〇月二二日付書面が控訴人に到達した日であることが前掲≪証拠≫の受付印によって認められる同月二六日に本件損害賠償の催告をしたものと認めるのが相当である。

しかして、同被控訴人が、昭和五〇年四月四日本訴を提起したことは記録上明らかであるから、同被控訴人の本件事故による損害賠償請求権は、右催告及び本訴提起により、その消滅時効が中断されたものと認めるべきである。

(小林 平田 浦野)

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